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対談

第7回 長い目で見て、どんどん転べ

2016.12.20

有馬 真喜子さん
(認定NPO法人国連ウィメン日本協会理事長)

橋本 芙美 氏 略歴

2002年3月津田塾大学英文学科卒業。2002年4月に共同テレビジョン入社、ドラマ部(現・第1制作部)に配属。2006年に映画製作部へ異動。2008年からはドラマ部・映画製作部兼任プロデューサー。『フリーター、家を買う。』でエランドール賞・プロデューサー奨励賞, 東京ドラマアウォード2011・プロデュース賞などを受賞。2011年にプロデュースした「マルモのおきて」の大ヒットを受け、日経WOMANが各界で活躍した働く女性に贈る「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2012」で「ヒットメーカー部門」を受賞。
近年の主な作品:「早子先生、結婚するって本当ですか?」(フジテレビ/2016)、「オリエント急行殺人事件」(フジテレビ/2015)、「僕のいた時間」(フジテレビ/2014)、「家族のうた」(フジテレビ/2012)、「マルモのおきて」(フジテレビ/2011)、「フリーター、家を買う。」(フジテレビ/2010)ほか

萱野

映像制作の現場は体力勝負で上下関係も厳しい、かなりハードな職場ですよね。橋本さんは大学を卒業後、まずはドラマ制作のアシスタント・プロデューサーになられたわけですが、具体的にはどのような生活でしたか。

橋本

連続ドラマの撮影が1つ入ると4、5か月間は休みなし。下っ端のころは早朝から現場に入って下準備をし、撮影後は後片付けもあるので、睡眠時間は1、2時間しか取れませんでした。家で寝てしまうと起きられなくなるので、睡眠は移動のロケバスの中……。

萱野

それは相当大変ですよね。

橋本

でも、当時はあまりつらいとは思わなかったのです。大学時代のサークルがESSのドラマセクションで、11月の本公演に向けて、夏過ぎから寝ずに準備していましたので。早朝にアルバイトをし、昼間は大学で授業を受け、終電まで小道具や衣裳を作るといった生活で、仕事もその延長のようなものでした。ところが、入社3年目、当時の会社の方針で下積みをあまり経ないままプロデューサーデビューさせていただいたのです。いきなり番組の責任者の1人になり、20年、30年先輩の方たちにモノ言わなくてはならなくなった。自分のキャリアや実力と見合わない役職です。このとき初めて「大変」と思いました。

萱野

女性で、まだ経験も浅い橋本さんが、年上の男性たちに指示しなくてはいけなくなったわけですね。

橋本

私はまだ25歳で、現場の細かい段取りにしても、わからないことばかり。「そんなことも知らないのか」とよく言われました。夜中にスタッフルームに呼び出され、ベテランの男性3人に囲まれて「(番組から)おりてくれませんか」と言われたことも。「おりません!」と言い返しましたが、さすがにその日は家で泣きました。

萱野

それは精神的につらかったでしょうね。その危機はどう乗り切りましたか。

橋本

向き合うしかない、と。まずは、そこに私を放り込んだ上司は、きっと私のタフさを見込んで放り込んだのだ、と自分に信じ込ませました。それから、それを言った方々ももちろん作品を愛するが故の発言なので、とことん話しました。その人たちと何度も飲みに行き、わからないことは素直に聞き、作品について深く話し合いました。

萱野

多くの場合、苦手な相手はなるべく避けようとしがちです。一緒に飲みに行こうと思えたのは、本当にタフですね。

橋本

作品をいいものにしたい、という思いがありましたし、何度も密な話し合いをするうちに、スタッフみんなが家族のように思えて、それぞれのよさや作品にかける情熱を感じることができた。けんかして逆に人間関係が深まり、今では当時のことを笑い話にしています。

萱野

現場については、どのように従わせていったのですか。

橋本

「従わせる」のではなく、「一緒につくる」構図です。プロデューサーにもいろいろなタイプの方がいらっしゃいますが、私の今までのプロデューサーとしてのやり方は、「上に立つ」と同時に、「下に立つ」でした。「上」「下」と言うと語弊がありますが、つまり現場と極力同じ立ち位置に立って現場の意見や問題点を共有しつつ、責任者としてやるべきことは果たす、というスタイルでした。朝から夜まで、できるだけ現場にいるようにし、各部署の話を聞くとか、現場スタッフと飲みに行くなどしていました。単に人と飲むのが好きというのもありましたが(笑)。でも、子どもが生まれて、物理的にこのスタイルではやっていけなくなったのです。今の私の課題は、長時間現場にいたり、夜飲みに行ったりできなくても現場のことを知り、キャストやスタッフと関係性を築き、その中で言わなくてはいけないことは、たとえ嫌われてでも言える勇気をもつこと。自分の中で今までとは違うプロデューサー像を模索している過渡期ですね。

萱野

2012年に第1子を、そして2015年に第2子を出産されたのでしたね。男性ばかりの現場で、出産・育児をする社員の前例はあったのですか。

橋本

育休を取ったのはうちの会社では16年ぶりで、ドラマ部(現・第1制作部)では初めてと言われました(笑)。社内にやはり何かしらの波はたったと思います。子どもが急に熱を出したり、休日にベビーシッターさんに頼らざるを得なかったりで、今でも「子どものためには、仕事を辞めたほうがいいのかな」と、悩むことがあります。でも、辞めないでいるのは、男性社会のこの業界で、道を切り開いてくださった女性の先輩方がいてくれたから。初めはわずかだった女性が想像を絶するような苦労と努力でポジションを獲得し実績をつくり、徐々に増え、仕事を辞めずに子どもを産める状況にまでなった。後輩たちのためには、私が堂々と産み、会社に迷惑をかけながらも図々しく残り続けることに意味がある、と思うようにしています。

萱野

先輩たちが切り開いてきた轍(わだち)を、さらに広げていこうとされている。そのために、これまでの働き方を変えていこうとしているんですね。限られた時間の中で、最高のパフォーマンスを出していかなくては、という橋本さんの課題は、長時間労働のわりに生産性が低いと言われる日本社会全体に通じる課題だと思います。実現するために、気をつけていることはありますか。

橋本

時間が限られているので、優先順位を明確にすることですね。夕方には仕事を切り上げて保育園に迎えに行かなければならない、そして子どもと家に帰ると自分の時間はほとんど持てない。今の自分には割り切りも必要です。その中でいかに効率を上げていくか。まだまだうまくこなしきれないことも多々ありますが、たくさんの助けを得て成立している現状です。それから、夫も同じ業界にいるのですが、仕事においては一番尊敬する人で、家庭では一番の理解者。家事や育児を同じようにこなしてくれることがとても大きいです。どの業界もそうですが、周囲の理解と支えがなければ仕事と育児の両立はできません。そのためには会社や男性の意識をうまく変えていく必要がある。でも頭ごなしに言うのではなく、大切なのは、この大変さをどう「実感」して「共有」してもらうか。仕事においても家庭においても、男性は立てたほうがよい、と私は思います。もちろんけんかをする時もありますが(笑)。物理的にかなわないことはもちろんあるし、頼りたくなる局面はたくさんあります。だから男性を立てつつ、その上で女性は女性らしいやり方で力を発揮して同じように結果を出せたらいいと思っています。つまり、男女の違いは色んな意味であるので、ただ対等にやり合おうとするのではなく、うまくこちらの思いを伝えていきながら最終的に自分の思い描くゴールに行くことが大事ですね。特に男性社会の色が濃い業界では。これは男女間だけでなく、立場や境遇の違う者同士にも通じると思います。お互いをネガティブにつつき合うのではなく、相手の特性や立場を理解し尊重した上で、いかに自分の思いを貫き実現させていくか。

萱野

女性が思っている以上に男性はプライドが高いですからね(笑)。「下に立つ」プロデューサー像に通じるものもあります。ところで、そうしたプロデューサー像をつうじて橋本さんが発揮されているリーダーシップは、これからのリーダーシップにおける新しい1つのモデルになるのではないかと思います。新学部ではリーダーシップを備えた女性の育成を目指していますが、今後、リーダーシップを身に着けたい若い人たちには、どのような力が必要だとお考えですか。

橋本

自分にとって今、何が一番大事か。情報があふれる中で、そのとき一番正しく、必要なものを選択する力ですね。選択や判断のためには洞察力とか、人間観察力も必要です。それには、ある一定の期間をかけて培われたコミュニケーション力や人間関係、あるいは学生時代や下積み時代にどのぐらい集中して何かひとつのことに打ち込んだかが問われてきます。自分の意見が通らなかったり、うまくいかなかったりすると2、3年で仕事を辞めてしまう人が多いようですが、ある程度の年月をかけないと培われないものって絶対ある。社会や先輩たちから自分は何を求められているのか。まずは目の前の求められたことにちゃんと応えて、初めて道が開け、力が養われていくのだと思います。それから、うまくいかないことがあったとき、それが誰かがやったことだとしても、人のせいにしないこと。自分のせいだと思ったほうが、自分のためになるし、道が開けてくる感じがします。

萱野

自分に何が求められているかしっかり考え、感じとって、行動すること。それが洞察力や人間観察力につながっていくということですね。また、「人のせいにしない」というのは、道を切り開いてきた方たちに共通する習慣ではないか、とこれまでいろいろなリーダーたちのお話をうかがってきて感じています。最後に、不安定なこの世の中で、さまざまな不安を抱えている若い人たちにメッセージをお願いします。

橋本

達成感や成功体験も必要ですが、最初のころはうまくいかなくて当たり前なのです。結果を焦らずに、長い目で見て、どんどん転べ、と言いたいですね。どんどん転んで、でもタダでは起きずに、そこから何かを必ず得ること。そして目の前のやるべきことはちゃんとこなし、努力し続ければ、いつか何か見えてくるはず。「いつか」のタイミングは人によって違うでしょう。でも、信じてやり続けることです。

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