INTERVIEW

現代社会が直面するさまざまな課題の解決を通じて、社会に貢献できる女性の育成を目指す総合政策学部。 新学部のキーワードである課題解決をめぐり、
総合政策学部長に就任予定である萱野稔人教授が各分野の女性リーダーたちと対談をします。

INTERVIEW 04

リーダーを支えるリーダーシップとは 荊尾 遥さん(広島県地域政策局 平和推進プロジェクト・チーム 平和推進アドバイザー)

荊尾 遥(かたらお はるか) 氏 略歴
2005年津田塾大学国際関係学科卒業。津田塾大学大学院国際関係学研究科修士課程在学中にニューヨーク国連本部にて国連小型武器行動計画履行検討会議の運営をインターンとして経験する。インターン後は日本でピースボートに半年間勤務。広島平和構築人材育成事業(外務省委託事業)の第一期生として採用され、南アフリカにある国際民主主義選挙支援研究所(International IDEA)で勤務。在オランダ日本大使館で化学兵器禁止条約担当の専門調査員として4年間勤務後、JPOに合格し、2012年~2014年国連アジア太平洋平和軍縮センター政務官。その後、現職。
萱野
平和推進アドバイザーとは、どのようなお仕事ですか。
荊尾
広島県の地域政策局の中に平和推進プロジェクト・チームがあり、核軍縮と平和構築の二本立てで、さまざまなプロジェクトに取り組んでいます。私は非常勤特別職として昨年からチームに加わり、核軍縮に関する情報収集や国連等でのワークショップの開催、政治指導者の広島招致などに携わっています。
萱野
その前は国連で仕事をされていましたね。
荊尾
JPO(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー)として外務省から派遣され、2012年から2年間、ネパール・カトマンズにある国連アジア太平洋平和軍縮センターで政務官を務めました。アジア・太平洋の43か国を担当し、国際的な軍縮・不拡散に関する条約などをそれぞれの国が履行し、普遍化するための支援をしました。大事な条約でも、その国にとって喫緊の課題でないと、署名はしたけれど批准しない、といった状況が起きたりします。どのような情報や支援を提供すれば条約を理解してもらえるのか。それぞれの国の実情や文化などに合わせ、いかに働きかけるかが私のがんばりどころでした。
萱野
各国ごとにさまざまなアクターがいて、さまざまな事情があるなかで、「核軍縮」「平和構築」という目標や課題に向けて、共通の枠組みを作っていくわけですね。どのような苦労がありますか。
荊尾
私自身は、アクターとして何かリーダーシップを発揮する立場ではなく、リーダーシップを発揮する人を支援する立場にあります。ですから、政策や方針を決定する人、その決定に影響力をもつ人がちゃんと動いてくれるように、どのタイミングで、だれに、どのように働きかければいいのか、常に考えていなければいけません。直接トップとやりとりできない場合は、担当者との信頼関係を密にし、いかにその人の上司を巻き込んでいくか、ということになります。たとえばワークショップの計画段階で「それはできない」などと言われることがありますが、その場合でも「では、こうしたらどうですか」という代替案をすぐに出したり、でき得る最大限の方策を考えたりする必要があります。
萱野
リーダーシップというと、人々の上に立ちものごとを決定する人を指す場合が多いですが、荊尾さんのお話をうかがうと、別のリーダーシップのあり方もあるということがよくわかります。利害当事者たちのあいだで合意形成や共通理解がなされるよう働きかけ、目的達成のためにものごとがうまく進行するようサポートする、というリーダーシップのあり方ですね。多様な人々のあいだでの合意形成や利害調整が課題の解決のためにますます重要になるこれからの時代には、そうしたリーダーシップのあり方がより求められていくのではないでしょうか。私たちが新しい学部で目指すのも、そうした他者への共感力に根差した新しいリーダーシップの育成です。荊尾さんは、どうしたらそうしたリーダーシップが身に着くと考えますか。
荊尾
実践あるのみ、だと思います。私も学生時代から国連本部でインターンシップを経験し、動いている交渉の場に実際に身を置いたことが役立っています。広島県では高校生を対象とした「グローバル未来塾inひろしま」という人材育成事業に関わっていますが、いろいろな人と議論するなかでAという見方だけでなく、BやCといった見方もできることがわかると、さらによいアイデアが生まれます。お互いのやりとりからこんな反応が返ってきた、自分は相手に何をバックできるだろう……そういう醍醐味を若いうちから味わってほしいですね。それから、今はインターネットなどで多くの情報は公開されています。それをちゃんと読み解く力を身に着けることも大事です。
萱野
読み解く力とは具体的にはどのようなものでしょうか。
荊尾
例えば、なぜこの国が今、この声明を出しているのか。なぜ、この地域でこの方針を強調しているのか。考え得る要因を、自身のレーダーやフィルターを通しつつ、1つひとつ丁寧に見ていく力です。
萱野
情報そのものの中に、当事者がどのような課題に直面しているのかが示されている、ということですね。情報の中から課題を発見する力は、まさに課題解決の基礎となる力です。ところで、荊尾さんのキャリアを拝見していると、「核軍縮」「平和構築」といった問題意識は一貫していますよね。そもそもこうしたテーマに関心を持たれたきっかけは何でしたか。
荊尾
広島出身なので、「ヒロシマの体験を国際社会の中で発言していく」という思いは昔からありました。高校3年生の夏休み、市民団体の企画でインド、パキスタンの若者を広島に招く平和交流のプロジェクトがあり、受験勉強中だった私も原爆資料館を一緒に回ったり、それまで決して出会うことのなかった両国の若者たちと、核兵器廃絶のために何ができるか考えたりしました。プロジェクトの最後、テレビ局のインタビューにインドの女子生徒がこう答えたのです。「現実は厳しい。けれど、私たち若者が世界を変えることができる」。その言葉がとても印象に残りました。実は、この時の経験を津田梅子さんに宛てた手紙という形で、津田塾大学エッセーコンテストに応募したのです。それが佳作に選ばれたことで、津田塾大学に入って自分のテーマを深めたい、というモチベーションになりました。
萱野
津田塾大学での学びはいかがでしたか。
荊尾
「これがわからない」という問いに対し、津田の先生方は答えを与えるのではなく、「それを調べるのにはこういう方法があるよ」と示してくださったことが役立っています。文章を読む際も書かれていることを鵜呑みにしてはいけない、と折あるごとに言われました。大学時代のノートや、試験の答案に先生が書いてくださったコメントはいまだに取ってあるんですよ。
萱野
それは教員にとってはうれしいお話ですね。荊尾さんは卒論や大学院での研究では南アフリカの非核化を取り上げていますね。南アフリカに着目した理由は何ですか。
荊尾
大学4年生になる前の春休みに、広島の新聞社が被爆60周年に向けて企画した「広島世界平和ミッション」に広島の被爆者と共に参加し、南アフリカとイランを訪問した経験がそのきっかけです。アパルトヘイト時代に核兵器を開発した国が、民主化とともになぜ核廃絶を実現できたのか。それをテーマに書きたい、と思ったのです。最初は小さな引っかかりが、どんどん深まった感じです。私は学生時代からあまり机の前に座っていなくて、いつも外に飛び出していましたね。
萱野
荊尾さんのキャリアも、ご自身の関心を次々と行動につなげていき、それをつうじて専門性を身に着けていった成果ですよね。今の学生たちは「何か社会の役に立ちたい」とか「課題の解決に貢献したい」という気持ちは強いようですが、そのために何をしたらいいのか、よくわからない人も多い。最後に後進たちに何かアドバイスをお願いできますか。
荊尾
自分が興味ある分野の中でも、どのポイントに一番ワクワクし、「もっと調べてみたい」という気持ちを感じられるか。そこに敏感であってほしいと思います。きっかけは直接見聞きしたことでもよいですし、読んだ本でもいいのではないでしょうか。心に引っかかるものを見つけ、そこを深めてほしいです。私は大学院2年生の夏に4か月、国連本部でインターンをし、タイプは違いますが二人の素晴らしい上司に恵まれました。そのうちの一人から送られたFollow your own instincts という言葉を、よく思い出します。自分自身の直感に従い、何か1つでもよりよい方向に変えていくことに携われると、やりがいになりますし、楽しいですよ。